たまりば

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2019年10月25日

治療院技術を習得するためにしてきたこと13     東洋医学と西洋医学の壁

 清野鍼灸整骨院院長清野充典が朝日新聞朝刊に掲載されました
 朝日新聞デジタル『マイベストプロ東京』に清野充典が掲載されました 
 清野充典が【THE ROOTS】の取材を受けました
 朝日新聞系専門家コラムサイトJIJICOに 清野充典のコラムが 鍼灸師として初めて医療部門に掲載されました

  鍼灸師免許を取得してから38年目、清野鍼灸整骨院を開設して33年目になります。高校を卒業してから医学の道に進み、医療を生業としてきました。自分の技術を言葉で伝えるため、鍼灸学部を卒業後の22歳より常に医学・医療の勉強を続け、40歳から研究を始め、59歳になりました。あと数カ月で還暦を迎えるにあたり、今までを振り返っています。突然この世に別れを告げる時が来るかもしれないので、後進へのメッセージ代わりと思い書いています。

 20歳代の頃は1日230人を超える患者様に接してきました。30歳代の頃は一日100人前後鍼灸治療を行ってきました。多い日は1日20人以上の新患を拝見しました。多くの患者様に多くのことを教わってきました。決して、満足な効果を提供できていたとは言えなかったと思います。40歳から、来院してくださる患者様のために研究を始めました。一人でも多くの患者様に、満足いただける治療を提供したい一心でした。

 長く苦しい日々でしたが、東洋医術の研究を続けてきたことにより、治療技術が格段に進歩しました。45歳を過ぎた頃より、ある病態の時1本の針で即時に痛みを消失できるようになりました。徐々に治療を再現出来るようになり、幾つもの病態で再現が可能になりました。鍼灸治療と徒手治療の双方で、患者様から「神の手」だという称賛の言葉もいただけるようになりました。少ない治療回数で症状の消失・病気治癒が可能となった頃から、来院延べ人数が減りました。一カ月の実人数は増加していても延べ人数は減少するという嬉しい皮肉な現象が続いています。

 治療成績が上昇すると、より一層難しい病態・疾患や難治性の外傷・複数個所の骨折者が増加します。毎日、難病患者さんとの戦いです。西洋医学の知識や最新の医療技術を学ぶ日々です。そこで問題となることは、西洋医療との融合です。

 東洋医学は、「身体は常に正常なバランスを維持しようとする」という整体観に基づき、治療を行っています。身体のバランスを取るために内臓の働きが正常化することを目的として、鍼灸治療や瘀血治療を行います。骨折や脱臼も、筋肉の働きを利用して骨や関節を一定の位置に保つことを考え、外傷部位を固定して骨や関節の修復を手助けします。
 西洋医学は、「障害を持つ部分を取り除く」ことや「症状を薬物等で抑え込む」治療が大半を占めています。熱や痛みを薬物で封じ込め、その間に休養を取り体力の回復を図る方法は有効です。しかしながら、多くの国民は、仕事や日常生活を継続するために薬物を利用しています。身体に休息を与えることなく服用すれば、若くて体力がある人を除けば、間違いなく疾患を抱えるようになります。動くことができなくなり、入院することで休養を余儀なくされます。それを繰り返すうち、取り返しのつかない大病をする人が後を絶ちません。

 東洋医術を、薬物や外用薬と同じように鎮痛目的だけで利用する人がいます。薬物を使用していない人は、体が変化しやすいので、数回の治療で健康な状態に回復可能です。しかしながら、基礎疾患を持ち常日頃薬物や外用薬を服用している人は、なかなか変化しません。薬物や外用薬の使用をやめ、鍼灸治療で身体の機能回復を目指す人と薬物を併用したまま鍼灸治療を行う人と効果の差は歴然です。1~2カ月で機能回復するか1年を経過しても全く変化がないというくらい違いがあります。

 東洋医学は1500年以上わが国の主たる国家医療でした。それに比べ西洋医学は150年ほどの歴史ですが、現在、教育や医療制度の中心であることから、医師が行う医療を国民が重視することは当然です。私は、鍼灸治療は薬物に変わる医療であると認識していますが、国民の認識は、私の考えとは程遠いところにあります。患者様と治療計画を立てる際、西洋医学や医師に対する信頼度の高さ、東洋医学や鍼灸師・柔道整復師に対する信頼度の低さが、医療を選択する障壁になっています。

 40年来、この現実は変わっていません。そのことから、薬物を利用してもなおかつ即効性かつ再現性がある技術開発を目指してきました。まだまだ太刀打ちできない病体はありますが、以前に比べ格段に多くの患者様に対し即効性がありかつ持続性がある医療を提供できるようになってきました。是非、一人でも多くの方に、東洋医療を実感していただきたいと思っています。

 東洋医学と西洋医学の間にある「高い壁」を取り除いた先には「融合」があります。「東洋医学と西洋医学の融合」を目指して、今日も努力を続けています。

 令和元年9月6日投稿記事「清野充典の「東洋医学ひとりごと
治療技術を習得するためにしてきたこと 1 所感
治療技術を習得するためにしてきたこと 2 身体の基盤作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 3 技術の基礎固め
治療技術を習得するためにしてきたこと 4 学力の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 5 心身の修養
治療技術を習得するためにしてきたこと 6 漢文読解の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 7 古典医書読解の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 8 中国医書解読の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 9 鍼灸治療体系化の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 10 語学の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 11  言語化の壁
[治療院技術を習得するためにしてきたこと12 患者説明の壁

 13回すべてお読みいただいた方に感謝申し上げます。「鍼灸治療を伝えることの難しさ ー灸(きゅう)治療の専門性ー」もお読みいただけましたら、うれしく思います。

2019年10月25日(金) 
 清野鍼灸整骨院
  院長 清野充典
   


2019年10月23日

治療院技術を習得するためにしてきたこと12     患者説明の壁

 清野鍼灸整骨院院長清野充典が朝日新聞朝刊に掲載されました
 朝日新聞デジタル『マイベストプロ東京』に清野充典が掲載されました 
 清野充典が【THE ROOTS】の取材を受けました
 朝日新聞系専門家コラムサイトJIJICOに 清野充典のコラムが 鍼灸師として初めて医療部門に掲載されました

  高校を卒業してから医学の道に進み、医療を生業としてきました。医療知識と技術を習得するために時間の全てを費やしております。自分の技術を言葉で伝えるため、40歳より研究を始めましたが、当院の医療スタッフや全ての医療従事者と言語でやりとりをしたいと思った全ての根幹は、より良い医療を患者様に提供するためです。

 自分が行っていることを、いかにわかりやすく患者様に伝え、理解していただくかということが、医療の世界に身を投じてから今に至るまでの命題です。そしてこのことは難題でもあります。

 私は、医学用語を使わずに説明することを心がけています。イメージしやすいように、例(たと)え話で伝える努力をしてきました。しかしながら、上手く説明できないときも多々あります。そんなときは、自分が良く理解していないときだと分かります。特に、治療技術の効果を説明することが難題です。
 何故鍼灸治療は効果があるのか。
 どんな治療技術(技法)を用いれば良くなるのか。
 どうしていろいろな艾を使用するのか。
 何故瘀血治療が必要なのか。
 徒手治療(徒手整復術)が何故必要なのか。
等々、毎日あの手この手で理解いただくための説明をしています。

 わかりやすく説明しようとすればするほど、いろいろなことを掘り下げて理解していなければ出来ないことだと分かります。このことは、哲学・思想、歴史、西洋医学と東洋医学の違い、医療制度や国の仕組みにまで及びます。

 毎日の説明を通じて、自分が良く理解できていない点があることに気づき、そのことがヒントとなって治療技術・技法の創出に繋がることが多くなりました。今までの研究が無駄ではなかったことを実感しています。
 
 令和元年9月6日投稿記事「清野充典の「東洋医学ひとりごと
治療技術を習得するためにしてきたこと 1 所感
治療技術を習得するためにしてきたこと 2 身体の基盤作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 3 技術の基礎固め
治療技術を習得するためにしてきたこと 4 学力の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 5 心身の修養
治療技術を習得するためにしてきたこと 6 漢文読解の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 7 古典医書読解の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 8 中国医書解読の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 9 鍼灸治療体系化の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 10 語学の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 11  言語化の壁
鍼灸治療を伝えることの難しさ ー灸(きゅう)治療の専門性ー

2019年10月23日(水) 
 清野鍼灸整骨院
  院長 清野充典

 10月20日に、たまりば四度目のベストテン入り。3 日連続9位、本日10位。いつも、お読みいただき、ありがとうございます。
 2019年10月20日「今日も調布は外国??になっています」がたまりば記事ランキング7位。今年3月の「野川のライトアップ」が1位になった記事に続き2本目のランクイン。皆様に感謝です。

  


2019年10月18日

治療技術を習得するためにしてきたこと11       言語化の壁

 清野鍼灸整骨院院長清野充典が朝日新聞朝刊に掲載されました
 朝日新聞デジタル『マイベストプロ東京』に清野充典が掲載されました 
 清野充典が【THE ROOTS】の取材を受けました
 朝日新聞系専門家コラムサイトJIJICOに 清野充典のコラムが 鍼灸師として初めて医療部門に掲載されました

  自分の技術を言葉で伝えるため、40歳より研究を始め、茨城大学・人間総合科学大学に通学して大学評価学位授与機構で「学士(鍼灸学)」取得、大東文化大学大学院で「修士(中国学)」を取得、順天堂大学医学部に進み「博士(医学)」を取得するために必要な語学試験(英語)に合格しました。53歳の時母校明治国際医療大学客員教授、57歳で早稲田大学文学部特別招聘講師に就任しました。

 54歳の時から伝統医術の体系化を常日頃考え、東洋医学と西洋医学を融合した新しい病態分類法を思いついたあと、「鍼灸治療体系学総論」を書きあげ、考えを裏付ける基本理念を作成する過程において、英語や中国語とも向き合いました。

 その理論がたまたまカナダで鍼灸治療を行っている先生の目に留まり、セミナーを開催するようになりました。受講生はカナダ人中心ですが、カナダは多民族国家ですので、カナダ国籍の欧米系や日本・中国・韓国等アジア系の人も沢山います。隣国のアメリカからも受講生が来ます。日本語で講演しますが、内容を理解していただくためには英語の専門用語知識も必要です。資料作成を通じて気づいたことは、説明できる用語がないことでした。漢方を英語で説明できる単語がないことは日常的ですが、そもそも日本語がないと言うことき気づいたときは、長年続けている研究生活の中で最も驚愕したことでありかつ新鮮な出来事でした。

 日常行っている鍼灸治療において、説明できる用語がないため、固有名詞を考えることが始まりました。用語作りは、日本語から発想することが主です。しかしながら、英語ではどう表現するのだろうと考えてから日本語を考えることも少なくありません。中国語で同様の用語があるのかも常に調べます。そのことは、新たな分類作りの始まりでした。特に、灸治療における分類は、歴史上初めて編み出した方法でした。

 視点を変え、柔軟な姿勢で一つ一つ整理していくことで、新たな理論と技術を生み出すことに繋がりました。この事は、「鍼灸治療学各論」の策定に繋がっています。  
 
 令和元年9月6日投稿記事「清野充典の「東洋医学ひとりごと
治療技術を習得するためにしてきたこと 1 所感
治療技術を習得するためにしてきたこと 2 身体の基盤作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 3 技術の基礎固め
治療技術を習得するためにしてきたこと 4 学力の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 5 心身の修養
治療技術を習得するためにしてきたこと 6 漢文読解の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 7 古典医書読解の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 8 中国医書解読の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 9 鍼灸治療体系化の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 10 語学の基礎作り
鍼灸治療を伝えることの難しさ ー灸(きゅう)治療の専門性ー

2019年10月18日(金) 
 清野鍼灸整骨院
  院長 清野充典

  


2019年10月17日

治療技術を習得するためにしてきたこと10    語学の基礎作り

 清野鍼灸整骨院院長清野充典が朝日新聞朝刊に掲載されました
 朝日新聞デジタル『マイベストプロ東京』に清野充典が掲載されました 
 清野充典が【THE ROOTS】の取材を受けました
 朝日新聞系専門家コラムサイトJIJICOに 清野充典のコラムが 鍼灸師として初めて医療部門に掲載されました

  自分の技術を言葉で伝えるため、40歳より大学・大学院進学を志し、52歳に順天堂大学医学部医史学研究室に進学、53歳の時母校明治国際医療大学客員教授に就任しました。

 国内外の講演を通じて、伝統医術の体系化を常日頃考えるようになっていたある日、車を運転しているとき、はっと閃きました。東洋医学と西洋医学を融合した新しい病態分類法を思いついた瞬間でした。その後、寝る間を惜しんで鍼灸治療体系学総論を書きました。2014年(平成26年)54歳の時です。その考えに再現性や整合性があることを実感して以来、考えを裏付ける基本理念を作成し、国内外で発表を続けました。

 この頃より、自分の考えを広く知ってもらうためには、医学博士論文として公表することが良いと考えるようになりました。そのとき必要になったのが、英語です。

 順天堂大学で「博士(医学)」を取得するためには、大学院医学研究科の語学試験(英語)を合格する必要があります。偏差値80を超える医学部の学生が受ける試験と同じ問題を解かなければなりません。過去の入試問題を見て、全く分かりませんでした。出題内容が医学に関する事なので、医学英語が必要です。辞書持ち込み可ですが、分からない単語が多すぎて、辞書を引いてばかりいると試験時間が終わってしまいます。

 初めて受験したときは、3割も回答することが出来ませんでした。高校生の時は英語の偏差値が70近くありました。国際会議でも英語を聞いており、英文も読んでいるつもりでいたことから、少しは英語に自信を持っていましたが、物の見事に打ち砕かれました。独学で望んだ翌年も、半分程度しか回答できませんでした。このままでは、何時合格できるか分からない、到底合格には追いつかないと思い、思い切って英語の学校へ通学を始めました。週2回個人レッスンを受け、高校生のテキストから始め、英語の文法から学び直しました。一日約8時間英語の勉強を続けました。海外で講演することも多くなったため、毎日2時間程度英語のテープを繰り返し聞きました。TOEICを3か月連続受け、早く回答するスピードも訓練して、受験に備えました。1年近く来る日も来る日も英語ばかり勉強しました。新聞は英字新聞にしました。3年目に受験したときは、8割程度回答出来、合格を確信しましたが不合格でした。

 無心で望んだ4年目は、不思議と問題が易しく感じました。それでも、前年のことがあったので、あまり期待をせず、初めて合格発表を確認しに行きませんでした。1か月後、研究室へ立ち寄った帰りに大学院事務室へ確認しに行ったところ、合格だと言われました。狐に包まれた感じでした。やることをやりきった気持ちでいましたので、もし不合格でもまた来年頑張ればいいかという気持ちでいました。合否にこだわる気持ちはすでになかったことから、やったーと言う感情はなく、神様が贈り物をくれたのだなあとしみじみ思いました。2018年2月、57歳の時でした。

 このあとから、海外へ行っても英語の聞き取りが苦にならなくなりました。英文を見ても文法の間違いが気づくようになり、自分の考えた英語を作れるようになりました。努力は実を結ぶ物だと、60歳間近になってしみじみ思いました。
 
 令和元年9月6日投稿記事「清野充典の「東洋医学ひとりごと
治療技術を習得するためにしてきたこと 1 所感
治療技術を習得するためにしてきたこと 2 身体の基盤作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 3 技術の基礎固め
治療技術を習得するためにしてきたこと 4 学力の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 5 心身の修養
治療技術を習得するためにしてきたこと 6 漢文読解の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 7 古典医書読解の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 8 中国医書解読の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 9 鍼灸治療体系化の基礎作り
鍼灸治療を伝えることの難しさ ー灸(きゅう)治療の専門性ー

2019年10月17日(木) 
 清野鍼灸整骨院
  院長 清野充典

 たまりば三度目のベストテン入り。3日連続10位。
  


2019年10月16日

治療技術を習得するためにしてきたこと 9    鍼灸治療体系化の基礎作り

 清野鍼灸整骨院院長清野充典が朝日新聞朝刊に掲載されました
 朝日新聞デジタル『マイベストプロ東京』に清野充典が掲載されました 
 清野充典が【THE ROOTS】の取材を受けました
 朝日新聞系専門家コラムサイトJIJICOに 清野充典のコラムが 鍼灸師として初めて医療部門に掲載されました

  自分の技術を言葉で伝えるため、40歳より大学・大学院進学を志し、「学士(鍼灸学)」「修士(中国学)」を取得しました。

 52歳に順天堂大学医学部医史学研究室に進学し、中国医書を読む力が出始めた頃より、周囲の環境が変わりました。53歳の時母校明治国際医療大学客員教授に就任し、国内外より講演の依頼が相次ぎました。

 日本国内の学会や研究会をはじめ、アメリカ、カナダ、ニカラグア、ブルガリア、メキシコなど海外でも数多く講演しました。資料を作成している過程で、自分が行ってきた技術を説明するためには、まだまだ勉強しなければならないことが数多くあることに気づきました。

 同時に、再現性がある治療を行うためには、縦横斜め、どの方向から考えても整合性がなければならないことに気づきました。鍼灸治療をはじめとした漢方と言われる治療には、体系化された理論がありません。随って体系化された医術もありません。伝統医術の体系化をする事が、自分の技術を言葉で伝えるためには一番の近道だと思うようになりました。

 中国古典医書のみならず、現代の医書も読む必要があるため、中国語を再度勉強し直しました。このとき、始めて本当の勉強が始まったという実感がありました。医書を読む力が付いてきたときにやるべき事が見つかり、進むべき方法が決まったことで、長く苦しい勉強の道から解放されつつありました。

 この頃から、新しい理論の構築や技術開発が進むようになりました。古典医書を読むことが治療技術向上に繋がることは予想もしていませんでした。今までの苦労が、一気に芽を出してきた実感を持ちました。
 
 令和元年9月6日投稿記事「清野充典の「東洋医学ひとりごと
治療技術を習得するためにしてきたこと 1 所感
治療技術を習得するためにしてきたこと 2 身体の基盤作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 3 技術の基礎固め
治療技術を習得するためにしてきたこと 4 学力の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 5 心身の修養
治療技術を習得するためにしてきたこと 6 漢文読解の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 7 古典医書読解の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 8 中国医書解読の基礎作り
鍼灸治療を伝えることの難しさ ー灸(きゅう)治療の専門性ー

2019年10月16日(水) 
 清野鍼灸整骨院
  院長 清野充典

 たまりば三度目のベストテン入り。2日連続10位。
  


2019年10月15日

治療技術を習得するためにしてきたこと 8    中国医書解読の基礎作り

 清野鍼灸整骨院院長清野充典が朝日新聞朝刊に掲載されました
 朝日新聞デジタル『マイベストプロ東京』に清野充典が掲載されました 
 清野充典が【THE ROOTS】の取材を受けました
 朝日新聞系専門家コラムサイトJIJICOに 清野充典のコラムが 鍼灸師として初めて医療部門に掲載されました

  自分の技術を言葉で伝えるため、開業して約15年、40歳を過ぎた頃、大学・大学院へ通学することを決め3年で「学士(鍼灸学)」を取得しました。漢文の読解力を身に付けるため、2年間の受験勉強を経て、45歳になり、大東文化大学大学院文学研究科に入学しました。中国医書の読解力を身に付けるため、順天堂大学医学部に研究生として入学した時は、52歳になっていました。

 順天堂大学医学部医史学研究室は、80ある医学部中唯一の研究室です。医学総会の第1分科会である日本医史学会の事務局でもあります。

 日本医史学会は30歳代より学会員でしたが、学会発表の内容は、多岐にわたっており、長い歴史を網羅した詳細な医学の歴史に、全く付いて行けませんでした。それでも、学会に加入して10年を超えた頃より、少しづつ発表内容を部分的に理解出来るようになり、他の演題との繋がりが解るようになって来てました。鍼灸医術を知るためには歴史を学ぶ必要があると、40歳後半には思い始めていました。丁度、大学院に入学した頃です。

 大東文化大学大学院修士課程を修了し、「修士(中国学)」を取得した頃には、ようやく漢文を読むことが出来はじめていましたが、中国医書を読むためには、いわゆる医学用語を理解する必要があります。一般の漢文を読む知識の上にさらなる専門知識を必要とすることが解っていましたので、順天堂大学医学部医史学研究室に進んだのは、必要不可欠な選択でした。大東文化大学大学院を修了した年のことです。

 研究室主催の研究会や日本医史学会の例会に参加して、中国最古の医書や基本の書を読解する日が続きました。順天堂大学は、日曜日でも図書館の利用が可能です。研究室にしかない本や資料を紐解き、様々な方向から、鍼灸医術の研究を続けました。漢文読解の力が、ようやく実を結び始めました。

 日本には、現存する最古の医書である『医心方』という書物があります。何年も『医心方』を読んでいるうちに、中国医書解読の基礎が身に付いて来たようでした。

 自分の技術を言葉で伝えるための基礎作りが、ようやく終わりを告げて来ました。気が付いたら、55歳を過ぎていました。
 
 令和元年9月6日投稿記事「清野充典の「東洋医学ひとりごと
治療技術を習得するためにしてきたこと 1 所感
治療技術を習得するためにしてきたこと 2 身体の基盤作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 3 技術の基礎固め
治療技術を習得するためにしてきたこと 4 学力の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 5 心身の修養
治療技術を習得するためにしてきたこと 6 漢文読解の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 7 古典医書読解の基礎作り
鍼灸治療を伝えることの難しさ ー灸(きゅう)治療の専門性ー

2019年10月15日(火) 
 清野鍼灸整骨院
  院長 清野充典
  


2019年10月14日

治療技術を習得するためにしてきたこと 7    古典医書読解の基礎作り

 清野鍼灸整骨院院長清野充典が朝日新聞朝刊に掲載されました
 朝日新聞デジタル『マイベストプロ東京』に清野充典が掲載されました 
 清野充典が【THE ROOTS】の取材を受けました
 朝日新聞系専門家コラムサイトJIJICOに 清野充典のコラムが 鍼灸師として初めて医療部門に掲載されました

  自分の技術を言葉で伝えるため、開業して約20年、45歳になり、大東文化大学大学院文学研究科に入学しました。中国学を専攻、専門は中国哲学です。

 大東文化大学は、大正13年に衆議院の決議に基づき創設された国家が作った漢学専門の学校です。総理大臣が歴代総長で、戦前は大東文化学院と言いました。学生は、一定の手当てをもらい、学問を学んでいました。戦後国立大学にならず私立大学を選択して、自由な学風を目指しました。大漢和辞典や中国語辞典の作成にかかわった大学です。現在は、複数の学部があります。私が在籍していた当時は、中国学学科150名、中国語学科150名、書道家学科150名1学年合計450名、学部生や大学院生を入れると約2000名以上が学ぶ中国学のメッカでした。中国医術は、中国学の一部です。中国に関係した、哲学・思想、文学、歴史、語学、芸術や日本に渡った漢学等、それぞれに専門の教授が複数いました。

 漢文は、いろいろなことを知らなければ読むことが出来ないことを知りました。医書だけを読んでもチンプンカンプンという理由が、良くわかりました。それは同時に、漢文を読解するために、「泥沼の湖」を泳ぎ始めたということを意味していました。1年生の秋から冬にかけ、咳が出はじめ呼吸困難になり、うつ状態になっている自分に気づきました。来る日も来る日も睡眠時間を削って予習復習をしました。大学院に在籍していた6年間は、知識を得るための苦痛との戦いでした。修士課程修了後、論文を1本学術誌に掲載出来たのは、その2年後です。丸8年を要しました。大学院の入試勉強を始めた2年を加えると、実に10年です。

 長く苦しい、漢文読解の道のりでしたが、このあと、見違えるように中国医書の内容を理解できるようになりました。 
 
 令和元年9月6日投稿記事「清野充典の「東洋医学ひとりごと
治療技術を習得するためにしてきたこと 1 所感
治療技術を習得するためにしてきたこと 2 身体の基盤作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 3 技術の基礎固め
治療技術を習得するためにしてきたこと 4 学力の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 5 心身の修養
治療技術を習得するためにしてきたこと 6 漢文読解の基礎作り
鍼灸治療を伝えることの難しさ ー灸(きゅう)治療の専門性ー

2019年10月14日(月) 
 清野鍼灸整骨院
  院長 清野充典  


2019年10月08日

治療技術を習得するためにしてきたこと 6 漢文読解の基礎作り

 清野鍼灸整骨院院長清野充典が朝日新聞朝刊に掲載されました
 朝日新聞デジタル『マイベストプロ東京』に清野充典が掲載されました 
 清野充典が【THE ROOTS】の取材を受けました
 朝日新聞系専門家コラムサイトJIJICOに 清野充典のコラムが 鍼灸師として初めて医療部門に掲載されました
  自分の技術を言葉で伝えるため、開業して約15年、40歳を過ぎた頃、大学・大学院へ通学することにしました。以来約15年、茨城大学、人間総合科学大学、大東文化大学、大東文化大学大学院、日本放送協会学園、東北福祉大学、順天堂大学医学部、順天堂大学大学院に籍を置き、様々な方向から研究を行ってきました。 

 鍼灸学部は、いわゆる理系ですので、数学や物理・化学・生物を中心とした学問が中心です。医学部とほぼ同じ教育です。大きな違いは、漢方を学ぶために、漢文を読むことです。日本では、東西問わず、翻訳が盛んですので、多くの書物は現代文で読むことが出来ます。しかしながら、中国医書の翻訳本はほとんどありません。江戸時代に書かれた日本の医書も、ほとんど漢文です。

 鍼灸技術を言語化するための大きな障壁は、漢文が読めないことでした。大学へ通学し始めた大きな理由は、いわゆる文系の学問を修得するためです。自然科学系で物事を思考してきた頭に人文科学系の頭を注入することが目的でした。思い切って飛び込みましたが、この壁はことのほか大きく、一足飛びに漢文を読む方法はないことを知りました。

 まずは高校入試の時に使う漢文読解の基礎から勉強を始めました。茨城大学や大東文化大学で3年基礎を身につけ、大学院の受験資格である学士(鍼灸学)を取得しました。中国学が専門の大東文化大学大学院に入学できたのは、思い立ってから5年後のことです。

 一般入試の語学試験は中国語で、辞書持ち込み不可でした。それまで独学で中国語を勉強してきましたが、始めて系統立って勉強しました。今にして思えば、漢文読解の基礎を作っていた4年間でした。大学院に入学した時は、45歳になっていました。
 
 令和元年9月6日投稿記事「清野充典の「東洋医学ひとりごと
治療技術を習得するためにしてきたこと 1 所感
治療技術を習得するためにしてきたこと 2 身体の基盤作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 3 技術の基礎固め
治療技術を習得するためにしてきたこと 4 学力の基礎作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 5 心身の修養
鍼灸治療を伝えることの難しさ ー灸(きゅう)治療の専門性ー

2019年10月8日(火) 
 清野鍼灸整骨院
  院長 清野充典  


2019年10月01日

治療技術を習得するためにしてきたこと 5 心身の修養

 清野鍼灸整骨院院長清野充典が朝日新聞朝刊に掲載されました
 朝日新聞デジタル『マイベストプロ東京』に清野充典が掲載されました 
 清野充典が【THE ROOTS】の取材を受けました
 朝日新聞系専門家コラムサイトJIJICOに 清野充典のコラムが 鍼灸師として初めて医療部門に掲載されました
  還暦を半年後に控え、今の心境を文字に残しておこうと思い、ブログを書いています。40年近く鍼灸治療の臨床を行ってきました。50年後にでもこのブログを目にした人が鍼灸治療に興味を持ち、私の書いたものを目にするきっかけになれば良いなあという思いでいます。

 自分の技術を言葉で伝えるため、開業して約15年、40歳を過ぎた頃、大学・大学院へ通学することにしました。以来約15年、茨城大学、人間総合科学大学、大東文化大学、大東文化大学大学院、日本放送協会学園、東北福祉大学、順天堂大学医学部、順天堂大学大学院に籍を置き、東京大学・早稲田大学・筑波大学・明治大学・青山学院大学・東洋大学・学習院大学・埼玉大学・二松学舎大学等の研究者達とも交流して、鍼灸治療、柔道整復治療や瘀血治療を言語化するために、様々な方向から研究を行ってきました。 

 この間、研究を続ける体力や治療技術の感性を磨くため、空手道やヨーガに力を注ぎました。

 病弱・虚弱に生まれた私は、医者を志すようになりますが、小学・中学生時代、海や山へ行き、中3から空手を始めて丈夫になり、インターハイ出場を果たしました。20歳代の頃は柔道をしました。30歳代よりヨーガ道場に通い始めましたが、40歳になり体力の低下を感じ始めたため、極真会館に白帯入門しました。空手の試合で戦う気持ちは、難病に対して戦う気持ちと同じです。空手で味わう極限で研ぎ澄まされた感覚は鍼灸という繊細な技術と同じ感覚があります。空手は心身の練磨に役立っており、鍼灸技術を極めるためには必要不可欠な存在になっています。

 空手で究極の感性を養っていますが、その時心は無になっている必要が有ります。ヨーガは、運動法(アーサナ・からだ)、瞑想法(こころ)、呼吸法の3つで構成されています。こころとからだを繋ぐ(YOGAの語源は繋ぐ)ものが呼吸です。究極の状態になればなるほど穏やかな心を得るために呼吸法を駆使します。このことが、日常の臨床にも大きく役立っています。

 空手とYOGAを精神支柱にして臨床や研究を行ってきました。

 令和元年9月6日投稿記事「清野充典の「東洋医学ひとりごと
治療技術を習得するためにしてきたこと 1 所感
治療技術を習得するためにしてきたこと 2 身体の基盤作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 3 技術の基礎固め
治療技術を習得するためにしてきたこと 4 学力の基礎作り
鍼灸治療を伝えることの難しさ ー灸(きゅう)治療の専門性ー

2019年10月1日(火) 
 清野鍼灸整骨院
  院長 清野充典  


2019年09月30日

治療技術を習得するためにしてきたこと 4 学力の基礎作り

 清野鍼灸整骨院院長清野充典が朝日新聞朝刊に掲載されました
 朝日新聞デジタル『マイベストプロ東京』に清野充典が掲載されました 
 清野充典が【THE ROOTS】の取材を受けました
 朝日新聞系専門家コラムサイトJIJICOに 清野充典のコラムが 鍼灸師として初めて医療部門に掲載されました
  高校卒業後、世界で初めて設立された鍼灸大学に入学しました。東洋医学と西洋医学を学んだ東洋医学の専門家として、鍼灸学部卒業生第1号の東京都開業者になりました。鍼灸師免許を取得してから40年にならんとしています。

 20歳代の時は、スタッフ5人で午前90人午後140人一日230人くらい治療していました。治療技術を習得するためには、多くの患者さんと接する必要があるということを、身をもって体験しました。しかしながら、患者様とゆっくり会話することすら叶いません。この生活を5年ほど経験した後、一日100人前後鍼灸治療する診療体制にしました。これにより、一日、10人~15人新患がいらっしゃっても、比較的ゆっくりお話を伺うことが出来るようになりました。

 この頃の悩みは、自分が学んできた知識と技術を、いかにしてスタッフに伝承するかと言うことでした。10人ほどの鍼灸師と勉強会を重ねる内、自分の学力が低いことを痛感していました。そこで、意を決して、大学・大学院へ通学することにしました。開業して約15年、40歳を過ぎた頃のことです。

 自分の技術を言葉で伝える戦いが始まりました。

 令和元年9月6日投稿記事「清野充典の「東洋医学ひとりごと
治療技術を習得するためにしてきたこと 1 所感
治療技術を習得するためにしてきたこと 2 身体の基盤作り
治療技術を習得するためにしてきたこと 3 技術の基礎固め
鍼灸治療を伝えることの難しさ ー灸(きゅう)治療の専門性ー

2019年9月30日(月) 
 清野鍼灸整骨院
  院長 清野充典  


2019年09月27日

治療技術を習得するためにしてきたこと 3 技術の基礎固め

 清野鍼灸整骨院院長清野充典が朝日新聞朝刊に掲載されました
 朝日新聞デジタル『マイベストプロ東京』に清野充典が掲載されました 
 清野充典が【THE ROOTSの取材を受けました

 高校卒業後、世界で初めて設立された鍼灸大学に入学しました。東洋医学と西洋医学を学んだ東洋医学の専門家として、鍼灸学部卒業生第1号の東京都開業者になりました。鍼灸師免許を取得してから40年にならんとしています。

 還暦を迎えようとしている年代になり、ようやく知識と技術が実を結び始めました。とても喜ばしいことですが、その結果、一日の来院患者数が減り始めました。早く治るため、一人の通院回数が少なくなります。ある意味、当然のことです。治療技術が向上していることを伝える術(すべ)を持たないため、ブログにこの事実を残しておこうと思い、書いています。

 15年以上前、私が先陣を切って診療していた頃は、一日多いときで新患数が20名を超えていました。最高1週間続いたことがあります。その他の週も、毎日10人~15人くらい来院していました。週5日月に20日診療していますので、多い月では、新患数が一ヶ月300人を超えていました。

 20歳代の時は、スタッフ5人で午前90人午後140人一日230人くらい治療していました。よく、300人くらい治療している仲間と効率的に診療する方法を話し合っていました。1時間に30人以上の人が来院して頂く状況です。若い自分にとって、これだけの患者様に接すると言うことは、とても貴重な体験でした。全てに対して、早く行わなければならない状況は、技術を格段に向上させることへ繋がりました。患者様が多いと言うことは、様々な病態の患者様がいると言うことです。大いに、医学・医療の勉強をすることに繋がりました。

 治療技術を習得するためには、若い時に多くの患者さんと接する必要があるということを、身をもって体験しました。

 令和元年9月6日投稿記事「清野充典の「東洋医学ひとりごと
治療技術を習得するためにしてきたこと 1 所感
治療技術を習得するためにしてきたこと 2 身体の基盤作り
鍼灸治療を伝えることの難しさ ー灸(きゅう)治療の専門性ー

2019年9月27日(金) 
 清野鍼灸整骨院
  院長 清野充典  


2019年09月24日

治療技術を習得するためにしてきたこと 2 身体の基盤作り

 清野鍼灸整骨院院長清野充典が朝日新聞朝刊に掲載されました
 朝日新聞デジタル『マイベストプロ東京』に清野充典が掲載されました 
 清野充典が【THE ROOTSの取材を受けました

 最近の心境を文字に残しておこうかなと思い、ブログを書いています。あと半年もすると、60歳を迎えます。38年近く鍼灸治療の臨床を行ってきました。

 一介の鍼灸師がこんなことを書いたからといって、誰も読みはしないでしょうが、50年後にでもこのブログを目にした人が鍼灸治療に興味を持ち、私の書いたものを目にするきっかけになれば良いなあと思い、綴り始めています。

 私の出身地は、青森県です。中学生の頃より、両親が行っていた治療所の手伝いをしていました。

 瘀血(おけつ)治療という、血液や体液による病気を治す治療を通じて、多くの患者様が改善していく様を見て育ちました。高校生の時は、青森県内を講演をして瘀血治療の普及活動していた父親に付き添い、体育館一杯にあふれた一般市民に、治療の良さを伝えていました。その時行っていた地位親の講演内容は、まさに東洋医学です。

 未熟児で生まれた私は、幼いときから、玄米食や野菜中心の食生活を行い、ヨーガや肥田式強健術をして身体を鍛えました。禅寺へ通い読経し、坐禅や行水をしていました。夏は海水浴、春・秋は登山、冬はスキーをして、運動をしました。中学3年生から高校生には空手道を行いました。その全てが、父親のすすめがあり協力があったればこそです。この頃から、身体が丈夫になり、インターハイ出場を決めた頃から、長時間勉強できる体力が付いてきました。

 東洋医学中心の考え方で養生を行い、薬を一切飲まずワクチンを一度もせず、運動をして心身を鍛える方法は、今に息づいています。自分で言うと茶番ですが、まさしく「東洋医学の申し子」のような生活をしていました。

 瘀血治療は、腹部から治療を始めます。あん摩や鍼灸治療は、治療の方法によって手から開始、足から開始、背中から開始します。この違いにいち早く疑問を持ち、その効果の違いを検討し始めたことは、独自の病態把握法を思いついた大きなきっかけだったと思います。瘀血治療と青森での生活・青春時代は、治療技術を習得するための地盤作りだったと言えます。

 令和元年9月6日投稿記事「清野充典の「東洋医学ひとりごと
治療技術を習得するためにしてきたこと 1 所感
鍼灸治療を伝えることの難しさ ー灸(きゅう)治療の専門性ー

2019年9月24日(火) 
 清野鍼灸整骨院
  院長 清野充典

  


2019年09月18日

治療技術を習得するためにしてきたこと 1 所感

 清野鍼灸整骨院院長清野充典が朝日新聞朝刊に掲載されました
 朝日新聞デジタル『マイベストプロ東京』に清野充典が掲載されました 
 清野充典が【THE ROOTSの取材を受けました

 最近の心境を文字に残しておこうかなと思い、ブログを書いています。あと半年もすると、60歳を迎えます。38年近く鍼灸治療の臨床を行ってきました。

 一介の鍼灸師がこんなことを書いたからといって、誰も読みはしないでしょうが、50年後にでもこのブログを目にした人が鍼灸治療に興味を持ち、私の書いたものを目にするきっかけになれば良いなあと思い、綴り始めています。

 5年ほど前、病体(患者)の新しい病態把握方法を創出したことにより、患者さんの診断が格段に早くなりました。患者様の病態に合わせた医療器具や技術を的確に選択できれば、治療効果は抜群に発揮されます。

 今まで10回以上を要していた患者様の容態が1~2回で、20回以上を要していた患者様の容態が4~5回で、30回以上を要していた患者様の容態が7~8回で改善可能になりました。

 とても喜ばしいことですが、その結果、一日の来院患者数が減少傾向にあります。早く治るので、一人の通院回数が減少しました。ある意味、当然のことです。その分、新しい患者様が増えれば良いのですが、治療技術が向上しているにもかかわらず、そのことを上手く伝えることが出来ないでいることが、残念なところです。

 私は、中学生の頃より、両親が行っていた治療所の手伝いをしていました。写真は、その治療器具です。瘀血(おけつ)治療を行う際に用いる瘀血吸圧器と言います。この治療法は、私が病態把握法を発見する上で、大きな役割を果たしています。

 令和元年9月6日投稿記事「清野充典の「東洋医学ひとりごと
鍼灸治療を伝えることの難しさ ー灸(きゅう)治療の専門性ー

2019年9月18日(水) 
 清野鍼灸整骨院
  院長 清野充典