たまりば

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2012年03月11日

今日は本棚の整理をしています

 平成24年3月5日に、大東文化大学大学院より、修士(中国学)の学位を取得できることが、確定しました。

 いままで、修士論文を書くための作業をするために、寸暇を惜しんで行っていたため、部屋の中は足の踏み場がないくらい散乱しています。

 今日は時間ができたので、本棚の整理をすることにしました。

 朝早くから、本ケースに本を戻すなどの作業をしています。


 半日ほど整理をして、ようやく床が見えてきました。

 博士論文を書くために、本の位置を入れ替えています。

 部屋が広く感じて嬉しいです。

清野充典 記
  


Posted by 清野充典  at 12:26Comments(0)大東文化大学大学院

2012年03月10日

大東文化大学大学院生活を振り返って21 中国語

 6年前の2006年4月、大東文化大学大学院文学研究科博士課程前期課程に入学しました。専攻は中国学です。
 
 中国学は、専門が、哲学・思想、文学、歴史、語学、芸術、日本の漢学に大別されます。私は哲学・思想を専門に研究していますが、自分の研究領域を深めるために、中国語に関する授業も受けました。

 現代中国語は、母校である明治国際医療大学にもありましたが、在学時は医学英語とドイツ語を専攻したために、中国語の授業を受けていません。

 卒業後、中国へ行く機会が多いことから、中国人に中国語会話を教わりました。また、NHK教育テレビを見て、文法に関する知識を補充しました。

 でも、基本的には、中国や中国圏へ行くことにより覚えたことが殆どです。実学と言えます。

 大東文化大学大学院に入学するために、初めて真面目に中国語の勉強をし、文法書を隅から隅まで読みました。その甲斐もあり、試験は8割以上解答できたのですが、中国語の先生より教わったことはありませんでしたので、中国語の授業を選択しました。

 試験がそこそこ出来たので、多少慢心がありました。気楽な気持ちで授業に参加したら、終わったときは真っ青でした。

 教材は、台湾の人気小説です。日本語訳がないので、翻訳して出版しましょうとのことです。

 文章を読むと、中国大陸の文章とは異なります。一つ一つの表現も異なり、中国で用いられている言葉を知った上で台湾で用いられている言葉と比較する必要が生じます。

 また、中国語の辞書にも特徴があることを知りました。文学表現、民間人が用いる言葉、スラングな言葉、故事成語等々によって、調べる辞書を変えなければいけません。一つの言葉の意味を理解するために、何冊もの辞書を用いなければいけないことを知りました。

 語学の難しさを痛切に感じました。

 予習に要した時間は半端ではありませんでした。初めのうちは、書いてある漢字の数を何冊もの辞書分だけ調べたと言えます。手の皮が薄くなるほど辞書をめくりました。ちょっと大げさですが・・・。

 担当教官である瀬戸口律子教授は、中国語の教材を書いていますが、日本で一番売れている本を書いています。分かりやすいと言うことでしょう。先生の授業はとても解りやすく、生徒の疑問に対し、明瞭に解答してくれます。

 また、お昼前に行う授業ですが、授業が終わると、必ず、一緒に食事をし、ご馳走をしてくれました。厳しいだけではなく、コミュニケーションを大切し、まさに語学を研究していることが解る先生でした。

 現代中国語の論文を読むために必要な基礎知識を、教えていただきました。(つづく)

平成24年3月10日(土) 
 清野充典 記

(平成23年1月1日より毎日更新中)

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Posted by 清野充典  at 01:20Comments(0)大東文化大学大学院

2012年03月09日

大東文化大学大学院生活を振り返って20 『文選(もんぜん)』

 6年前の2006年4月、大東文化大学大学院文学研究科博士課程前期課程に入学しました。専攻は中国学です。
 
 中国学は、専門が、哲学・思想、文学、歴史、語学、芸術、日本の漢学に大別されます。私は哲学・思想を専門に研究していますが、自分の研究領域を深めるために、文学に関する授業も受けました。

 文学は、広義の意味と狭義の意味で解釈されます。

 広義には、「文」を「あや」と解釈し、地球上に存在する書物、切れ端に書いた字や絵、壁画等のすべてを対象とした学問を意味します。人文学というのもそのためです。

 狭義には、詩や歌等を意味します。文学を後者のようにとらえている人は多いのではないでしょうか。

 文学に関する授業とは、後者の授業です。

 大東文化大学には、慶応大学・東北大学大学院出身の門脇廣文教授や東北大学・大学院出身の中川諭教授ら、中国学会の役員に名を連ねる高名な先生がたくさんいます。

 私は、『文選(もんぜん)』という詩を書いた授業を受けました。担当教官は安藤信廣教授です。

 実は、すべての授業の中で、これが一番大変に感じました。むしろ苦痛だったと言えます。安藤先生に問題があったわけではありません。先生は、むしろ懇切丁寧にわかり易くご指導くださいました。手取り足取りとも言えます。金沢文庫へお連れくださり、帰りに中華街でごちそうまでしてくださいました。とてもいい思い出です。

 でも、私にとって、杜甫や李白などという有名な人の詩以外、今まで読むということをしたことがなかっただけに、何から何まで大変でした。

 「韻を踏む」ことが初めてわかりましたし、詩を読むために歴史や哲学を理解することも必要なことが分かりました。

 やはり、哲学、文学、歴史、語学、芸術のどの分野を研究するためでも、すべてが総合的にわかっていなければいけないということが分かりました。

 大東文化大学大学院文学研究科は、日本文学・中国学・英文学・書道学・教育学を専攻している人は、すべての授業に出席することが可能です。

 『論語』の授業は、書道学専攻の人と一緒に授業を受けましたが、『文選』の授業は日本文学専攻の人と授業を受けました。

 専攻が異なると知っていることが違うため、学問に幅が出ます。会話を楽しみながら授業を受けることができたのは、いい思い出です。

 私は、授業の発表を、日本文学専攻で日本の詩を専門にしている人と一生に組んで資料作りを行うことができたので、ずいぶん助けていただきました。

 すべてを振り返ってみても、あの時の苦しさは自分の中で特筆すべき時間でした。

 文学の難しさと学問の深さを痛切に感じました。(つづく)

平成24年3月9日(金) 
 清野充典 記

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Posted by 清野充典  at 18:09Comments(0)大東文化大学大学院

2012年03月08日

大東文化大学大学院生活を振り返って19 『漢書(かんじょ)』

 6年前の2006年4月、大東文化大学大学院文学研究科博士課程前期課程に入学しました。専攻は中国学です。
 
 中国学は、専門が、哲学・思想、文学、歴史、語学、芸術、日本の漢学に大別されます。私は哲学・思想を専門に研究していますが、自分の研究領域を深めるために、歴史学に関する授業も受けました。

 中国の歴代王朝を書いた歴史書は二十五史ありますが、中国医学を理解するためには、『漢書』や『隋書』等を学ぶ必要があります。特に、『漢書』の「芸文志」には中国最古の医家や医書に関する記載があります。

 『漢書』に関する授業は、小林春樹准教授に指導を受けました。

 小林先生は、早稲田大学文学研究科を修了された先生で、『漢書』を従来と異なる視点で分析している学者です。中国古代天文史、中国古代暦法史、中国史学史が専門で、大東文化大学の東洋研究所で研究をしている第一線の研究者です。

 歴史学においては非常に広範囲な知識を有しています。歴史学における基礎学力が不足している私には、とても貴重な授業でした。

 私が、「氣」についての論文を書いていることを知り、中国で出版された「氣」についての最新論文を、コピーして自宅に送ってくれました。

 学問に対し真摯に取り組む先生の姿勢は、研究者の鏡とも言える存在です。

 新しい歴史認識を、沢山伝えてくださった先生でした。(つづく)

平成24年3月8日(木) 
 清野充典 記

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Posted by 清野充典  at 13:55Comments(0)大東文化大学大学院

2012年03月07日

大東文化大学大学院生活を振り返って18 『三国志』

 6年前の2006年4月、大東文化大学大学院文学研究科中国学専攻博士課程前期課程に入学しました。専攻は中国学です。
 
 中国学は、専門が、哲学思想、文学、歴史、語学、芸術、日本の漢学に大別されます。

 中国学を専門に研究している大学は、大東文化大学と二松学舎大学です。二松学舎大学は、日本の漢学が専門です。

 大東文化大学は、中国学すべての分野において研究を行っています。学部も、中国学科、中国語学科、書道学科があります。中国学の教授が何人もいます。1つの文字を調べる際に、書道学科の先生を交えて字を解読している場面に立ち会ったときは感動モノでした。あらゆる知識を駆使しないと漢文は読めないということを肌で感じました。

 私は、中国哲学を専門にしましたので、中国思想・哲学を中心に授業を受けました。これまで紹介してきたとおりです。

 でも、哲学書を読むために、歴史的事実を欠くことはできません。正しい歴史認識がないと書物の成立に関する情報を正しく吟味することができません。

 そこで、大学院2年生になり、歴史に関する授業を選択しました。

 大東文化大学には、世界に誇る歴史研究者である渡邉義浩教授がおります。渡邉教授は、筑波大学出身です。筑波大学は文部省の前身とも言える東京教育大学の男子部です。東京教育大学は、男子部と女子部に分かれましたが、女子部はお茶の水大学です。中国学は、戦後筑波大学と大東文化大学に引き継がれたと言っても過言ではなく、13冊に及ぶ大漢和辞典は、筑波大学と大東文化大学の関係者による合作でできたものです。

 その筑波大学出身の渡邉先生は、わずか38歳で大東文化大学の教授に就任しました。60歳近くにならないと文学博士の学位が取得できないという世界の中で、わずか30歳足らずで取得した天才とも言える人です。
 
 渡邉先生は、『三国志』が専門です。日本で最も読まれている中国の本です。『レッドクリフ』Ⅰ・Ⅱの映画を見た方も多いと思います。その字幕を監修をした人が、渡邉教授です。

 渡邉先生は、私より2歳年下ということもあり、先生はいつも私を立ててくれましたが、能力で圧倒的に差のある先生の授業は、私にとってとても興味深く、いつも恐縮して授業を受けさせて頂きました。

 渡邉先生は、論文を書くことで、知っていることと知らないことが明確になるといつも言われていました。その方針から、授業では、盛んに大学院生が書いた論文の発表を推進しました。私も発表させていただきましたが、先生の明快な指摘や方向性の提案により、ずいぶん助けていただきました。

 また、先生がお話になる歴史観は、従来の説を覆すことが多く、最新研究の概要を忌憚なく教えてくださることから、歴史の面白さを十分に堪能することができました。

 私が書いた『中国古代の氣』の中では、まず古代という時代はいつかということを論じました。これこそ、歴史学です。

 渡邉教授の授業は、哲学・思想の知識を広げてくれたすばらしい授業でした。

 渡邉義浩先生は、これからの中国学分野をけん引する逸材です。今後の活躍に期待しています。(つづく)

平成24年3月7日(水) 
 清野充典 記

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2012年03月06日

大東文化大学大学院生活を振り返って17 『論語』

 6年前の2006年4月、大東文化大学大学院文学研究科博士課程前期課程に入学しました。専攻は中国学です。

 中国学の基本は漢学です。漢学は儒家の思想が中心です。中国の国家公務員になるための試験を科挙制度と言いますが、その試験科目は、儒家の思想です。四書五経(ししょごきょう)をそらんじることが出来る人が合格したとも言われています。

 その中で、皆さんに最もなじみのある本と言ったら『論語』ではないでしょうか。「論語読みの論語知らず」と言う言葉があるくらいですし、それが孔子に関係した本であることも一般的に近いものと思います。

 『論語』は、大東文化大学出身の荻庭勇教授に指導を受けました。

 大東文化大学は、日本で唯一漢学専門の教育機関として設立された大学です。大正13年に国費で作られ、歴代総長が終戦まで総理大臣と言う学校です。学生は給料をもらって勉強していたところですから、きら星のように有名な学者を輩出しています。貴重な書物が多く、借金のない大学でかつ創始者という人もいないため、研究に対しては必要経費を惜しまない大学です。

 全13冊に及ぶ大漢和辞典や中国語辞典は、大東文化大学の学生が協力して作成した、世界に誇れる歴史的な業績です。

 その中にあって、荻庭先生は、70歳定年を迎える2010年まで、第一線で活躍してきた研究者です。その博学ぶりと見識の広さには脱帽しました。

 その荻庭先生に、大学院1年生の時、「君は日本語がうまいねえ。」と言われました。

 最初は、バカにされたのかと思いました。でも、荻庭先生の授業を受けている内に、日本語を正しく使うことの大切さと難しさに気付かせていただきました。そんな先生にほめていただいたことを光栄に思い、より一層日本語の使い方に対して注意するようになりました。

 荻庭先生が教える『論語』の授業は、とても魅力的でした。この先生が小学生に対し授業を行ったら、みんなおもしろおかしく授業を受け、正しい日本語を自然に習得できることと思います。すばらしい先生でした。

 その後、2012年の今年まで、非常勤で勤務していました。毎週木曜日にいらっしゃるので、毎週のように会話をし、ご指導をいただくことが出来ました。

 いまでも、毎日言葉を伝えることの難しさをかみしめていますが、荻庭先生にお褒めいただいた言葉をいつも胸に秘め、日々日本語を磨く努力をしています。(つづく)

平成24年3月6日(火) 
 清野充典 記

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Posted by 清野充典  at 02:23Comments(0)大東文化大学大学院

2012年03月05日

修士(中国学)を取得しました

 今日は、修士修了判定の日です。

 大学院事務室の前に張り出された「平成23年度 大学院修了発表者」の中に、私の学籍番号がありました。

 無事合格したことを確認しました。

 はじめは、学籍番号だけだったので、良く解らず、思わず学生証を取り出して確認しました。

 「やったー」と言う気持ちはなく、静かな気持ちで「あったー」という、心の中でほっとした感覚だけが生まれました。

 少しずつ少しずつ、身体の中に安堵感と喜びが拡がっている感じです。

 日本の鍼灸師が、日本で唯一の儒学専門研究機関である大東文化大学で、中国学修士を取得するのは、初めてのことです。

 中国学専門の研究者として、これからも中国医学研究に努める所存です。

 これで、大東文化大学大学院を修了(大学院は「卒業」と言わず「修了」と言います)することが、決定しました。

 学位授与式は、3月22日(木)に、午前11時より、有楽町にある東京国際フォーラムで行われます。

平成24年3月5日(月)
 清野充典 記
  


Posted by 清野充典  at 11:42Comments(0)大東文化大学大学院

2012年03月04日

大東文化大学大学院生活を振り返って16 『春秋』

 6年前の2006年4月、大東文化大学大学院文学研究科博士課程前期課程に入学しました。専攻は中国学です。

 大東文化大学は、学部生の時、四書五経(ししょごきょう)をすべて読みます。四書五経とは、五経である『易経』・『書経』・『詩経』・『禮記』・『春秋』と四書である『論語』・『孟子』・『大学』・『中庸』のことです。『大学』・『中庸』は、『書経』の中にある編の一つですので、実際は、9冊ではなく7冊と言えます。

 林教授が行う授業の教材は『周禮注疏』ですが、四書五経すべての書物が引用されているので、全部に目を通さなくてはいけません 授業で、『易経』・『書経』・『詩経』・『禮記』・『論語』・『孟子』は常に取り上げられることから、自分にとってあまりなじみのない『春秋』の授業を選択しました。

 『春秋』とは、魯の時代の記録です。『春秋』自体は現存していません。『春秋』の注釈本は3冊ありますが、その代表的な本は『春秋左氏傳(しゅんじゅうさしでん)』です。文庫本もあります。でも、大学院の授業は、『春秋穀梁傳(しゅんじゅうこくりょうでん)』でした。

 『春秋穀梁傳』は、訳本が殆どありません。授業担当の教授は、穀梁傳の研究に於いては第一人者の田中雅己先生です。初めのうちは、授業がさっぱりわからず、「こんな本のどこがおもしろいんだろう。」と思っていました。授業の内容があまりにもちんぷんかんぷんだったので、学部生に『春秋』の基礎を授業している吉田篤志准教授にお願いし、大学3年生と一緒に授業を受けることにしました。

 大学院1年生の時は、指導教官である林克教授が行う学部の授業で、『春秋繁露』という書物を読む講義にも出ていましたので、大学院に登校した日は、全く休む暇がありませんでした。

 吉田先生には、本当に基礎から教えていただきました。授業以外にも研究室へ出入りし、基礎文献の検索方法や様々な本の見方・調べ方を教えていただきました。大学院生が常識としていることは、学部生からの積み重ねであることは十分理解していましたので、一方では高等なことを学び一方では基礎を学ぶという相反することを繰り返しました。

 吉田先生がいなかったら、肝腎なことがずーっと解らないまま、今もぽかんとすることが多かったかもしれません。

 吉田先生に背中を押していただかなかったら、論文を書き上げることが出来なかったと、心から思っています。

 明日の3月5日(月)は、修士修了判定の日です。(つづく)

平成24年3月4日(日) 
 清野充典 記

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2012年03月03日

大東文化大学大学院生活を振り返って15 『朱子語類』

 6年前の2006年4月、大東文化大学大学院文学研究科博士課程前期課程に入学しました。専攻は中国学です。

 中国学とは、中国の哲学・思想、文学、史学、語学、芸術、日本の漢学等を総合的に研究する学問です。私は、中国哲学を専門に勉強しました。

 これまで、春秋戦国時代の書物を学んでいたことを書きましたが、時代がもっと下り南宋の朱熹が弟子たちと交わした言葉を書き著したとされる『朱子語類』を、三浦國雄教授より学びました。時代が違うと、文体が異なり、随分分かりづらく、これもまたとても苦労する授業でした。最初は、ちんぷんかんぷんでした。

 三浦教授は、大阪市立大学出身です。東北大学助教授を経て、母校の教授をした後、大東文化大学の教授となりました。『易經』や『道教』に造詣が深く、中国医学にも精通しています。「氣」についての書物を含め、数多くの本を世に送り出しています。

 私の指導教官である林克教授、池田和久教授と三浦國雄教授の3人を、中国哲学のビック3と呼ぶ人もおります。

 実は、大東文化大学に入学した理由の一つに、この3人がいたことが挙げられます。

 三浦教授には、現代中国語の論文を早く理解する方法を随分教えていただきました。また、中国医学に関する最新論文の別刷り印刷したものを、ちょくちょく頂戴いたしました。

 中国哲学以外にも、広範囲な知識を有しており、「博学な人」という敬称がぴったりの方です。

 三浦先生も池田先生同様に70歳定年を迎えました。学問に対する姿勢はとても厳しく、授業を受けた私に対する評価は決して高くありませんでしたが、「6年もかかってごめんね。本当は、博士がもらえるように指導しなきゃいけなかったのにね。」と言っていただきました。

 「そんなことはありません。良い時間を過ごさせていただきました。」と答えたところ、「それを聞いて安堵した。清野君のことはずっと気にしていたんだ。」と言っていただきました。

 本当は優しい心を持ちながら、学問に対しては厳しく、甘えは許さないと言うことが良く解るような会話でした。

 いつも気に掛けていただいていたことは良く解っていました。陰に陽に、三浦先生には助けていただきました。(つづく)

平成24年3月3日(土) 
 清野充典 記

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2012年03月02日

大東文化大学大学院生活を振り返って14 『上海楚簡』

 6年前の2006年4月、大東文化大学大学院文学研究科博士課程前期課程に入学しました。専攻は中国学です。

 大学院2年生の7月になり、担当した『上海博物館所蔵戦国楚簡』「周易」の部分を、何とか体裁を取り繕い授業に臨みました。

 授業が始まり私の資料を見たとき、池田教授は、

 「これは君が作ったのか。なんだこんな中学生レベルの物を作って・・・。」

 話にならんとばかりに資料を放り投げられました。

 翌週、必死になって再度授業に臨みました。その時は、

 「まだ高校生レベルだ、必死になって作ったのか。一週間寝ずにやってこい。」と言われました。

 何も言い返せずに授業を終えた後、後期課程の先輩が、「清野さんはまだいいですよ、僕なんか最初小学生レベルと言われましたから。」と言って慰めてくれました。その先輩は、後期課程平均8年といわれる世界で、5年で中国学博士(歴史)を取得した優秀な人です。哲学系は12~3年を要するのが通常です。そんな才能のある人が小学生レベルと言われています。優秀な人には厳しいんだと勝手に思い込み、気を取り直して資料を作り直しました。

 次第に、学部生1年生レベル、2年生レベルと言われ、「やっと修士1年生レベルになったじゃないか。」と言われた時は、修士2年生であるにもかかわらず、ほっとしたものでした。

 池田教授の厳しさは有名で、みなその言動をそんなものだと思っていたため、私もさして気に止めないようにしていました。それよりも最先端の知識を学べることから多くの人が集まってきていることは、授業内容を見て理解できました。

 それでも、お通夜がある日に、「先生、今日お通夜があるので早退させていただいてもよろしいんでしょうか。」と聞いたところ、「ばかもん、そんなことは前もって言っておくもんだ。」と言われ、唖然としました。

 でも、言葉とは裏腹に、必要な部分を終えたら、「今からならまだお焼香が間に合うだろう。」と言って途中で返してくれました。

 本当は優しい先生なのですが、学問に対して厳しいということです。見習うことがたくさんある先生です。

 毎年授業の成果をまとめあげて『上海楚簡の研究』という本を出版しています。

 この本は世界的な評価を受けています。私は第2冊目の原稿と編集後記を書かせていただきました。

 その本の原稿を見返す作業を、大学院2年生の終わりごろである1月に授業で行っていました。ちょうど私の担当部分を見返す授業がある日に、92歳の父親が朝9時過ぎに亡くなりました。

 今日は授業に出席できないことを告げるために、池田教授の携帯電話へ電話をしました。

 一通り説明した後、教授は「で、何時頃来れる。」と言いました。そんなことを言うんじゃないかと思ってはいましたが、返答できないでいたら、「まっ、来れないか。いいよこっちでやっとくから。」と言っていただきました。本当に行かなければいけないかな、と思うほど一生懸命取り組んでいた自分がありました。重要な会合であることは分かっていたので、先生の一言に救われました。

 池田教授には、学問を極めるための厳しさを教えていただきました。

 また、池田教授には、入学前からいろいろ相談に乗っていただきました。受験勉強をするために学部の授業を受けていましたが、その一つが池田先生の授業です。池田先生の専門は『老子』です。授業は、『老子』、『荘子』、『墨子』など多岐にわたっていました。四書五経以外の書物を沢山教えていただきました。

 厳しい先生ですが、大学院4年目の終わり頃、なかなか修了できない私に、ひょっこりメールを下さいました。授業や所用に関連したこと以外の内容だったのでビックリしましたが、とても勇気づけられるメールでした。

 池田先生は、今年70歳のため退官します。修士論文を提出した日に、荷造りをしていた先生とお話をさせていただきました。

 初めてお会いしてから、8回目の春を迎えようとしています。池田先生より学んだ知識は、私の大きな財産です。(つづく)

平成24年3月2日(金) 
 清野充典 記

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2012年03月01日

大東文化大学大学院生活を振り返って13 出土資料

 6年前の2006年4月、大東文化大学大学院文学研究科博士課程前期課程に入学しました。専攻は中国学です。

 中国学とは、中国の哲学・思想、文学、史学、語学、芸術、日本の漢学等を総合的に研究する学問です。

 その中で、四書五経(ししょごきょう)は、漢学の基本書です。四書五経とは、五経である『易経』・『書経』・『詩経』・『禮記』・『春秋』と四書である『論語』・『孟子』・『大学』・『中庸』を指します。

 この中で、1番重要な書物である『易経』を、東京大学名誉教授でもある池田知久教授に指導を受けました。

 池田教授は、中国の皇帝や権力者たちの墓から出た文物等の出土資料研究における第一人者です。

 『上海博物館所蔵戦国楚簡』の竹簡(ちくかん)という竹に書かれた文字を読みました。

 楚簡とは、春秋戦国時代の国である、楚の時代に書かれた文字です。  

 池田先生のゼミは、大東文化大学以外から多くの先生・生徒が集まって最先端研究を行っています。大東文化大学の院生だけでなく、池田先生が大東文化大学に来る前に就任していた東京大学の博士課程後期・前期の院生、青山大学大学院の院生、埼玉大学の院生など、他大学からも来ています。

 さらに驚くことに、立教大学の講師や大東文化大学の教授たちが加わり、尚且つ、中国の大学院に留学中の大学院生までもが、メールやインターネットによるテレビ電話で授業に参加していました。

 あまりにもレベルが高くて、とてもついていけません。東京大学の修士課程に通学している1年先輩の院生が、文字の調べ方や最新の現代中国文献の調査方法や現代中国語の読み方を教えてくれるというので、本郷にある東京大学大学院へ出向き1日中指導していただいたり、メールで何度も教えていただき、やっと自分で資料が作れるところまで学習を進めることが出来ました。

 入学からすでに10ヶ月が経過していました。

 授業が休みに入った2月から3月にかけて、約40日間ぐらいかけて90文字を解読しました。1文字調べるのに何冊もの辞書を使います。1文字を解読するために、約1時間を要しました。

 つらいつらい作業でした。

 大学院2年生になり、何とか授業の資料として提出できるところまで作り上げたのは、2年生の7月です。初めて授業に参加してから1年6ヶ月が経っていました。

 授業が始まり私の資料を見たとき、すぐさま出た池田教授の一言は、衝撃的でした。(つづく)

平成24年3月1日(木) 
 清野充典 記

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