たまりば

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2012年03月02日

大東文化大学大学院生活を振り返って14 『上海楚簡』

 6年前の2006年4月、大東文化大学大学院文学研究科博士課程前期課程に入学しました。専攻は中国学です。

 大学院2年生の7月になり、担当した『上海博物館所蔵戦国楚簡』「周易」の部分を、何とか体裁を取り繕い授業に臨みました。

 授業が始まり私の資料を見たとき、池田教授は、

 「これは君が作ったのか。なんだこんな中学生レベルの物を作って・・・。」

 話にならんとばかりに資料を放り投げられました。

 翌週、必死になって再度授業に臨みました。その時は、

 「まだ高校生レベルだ、必死になって作ったのか。一週間寝ずにやってこい。」と言われました。

 何も言い返せずに授業を終えた後、後期課程の先輩が、「清野さんはまだいいですよ、僕なんか最初小学生レベルと言われましたから。」と言って慰めてくれました。その先輩は、後期課程平均8年といわれる世界で、5年で中国学博士(歴史)を取得した優秀な人です。哲学系は12~3年を要するのが通常です。そんな才能のある人が小学生レベルと言われています。優秀な人には厳しいんだと勝手に思い込み、気を取り直して資料を作り直しました。

 次第に、学部生1年生レベル、2年生レベルと言われ、「やっと修士1年生レベルになったじゃないか。」と言われた時は、修士2年生であるにもかかわらず、ほっとしたものでした。

 池田教授の厳しさは有名で、みなその言動をそんなものだと思っていたため、私もさして気に止めないようにしていました。それよりも最先端の知識を学べることから多くの人が集まってきていることは、授業内容を見て理解できました。

 それでも、お通夜がある日に、「先生、今日お通夜があるので早退させていただいてもよろしいんでしょうか。」と聞いたところ、「ばかもん、そんなことは前もって言っておくもんだ。」と言われ、唖然としました。

 でも、言葉とは裏腹に、必要な部分を終えたら、「今からならまだお焼香が間に合うだろう。」と言って途中で返してくれました。

 本当は優しい先生なのですが、学問に対して厳しいということです。見習うことがたくさんある先生です。

 毎年授業の成果をまとめあげて『上海楚簡の研究』という本を出版しています。

 この本は世界的な評価を受けています。私は第2冊目の原稿と編集後記を書かせていただきました。

 その本の原稿を見返す作業を、大学院2年生の終わりごろである1月に授業で行っていました。ちょうど私の担当部分を見返す授業がある日に、92歳の父親が朝9時過ぎに亡くなりました。

 今日は授業に出席できないことを告げるために、池田教授の携帯電話へ電話をしました。

 一通り説明した後、教授は「で、何時頃来れる。」と言いました。そんなことを言うんじゃないかと思ってはいましたが、返答できないでいたら、「まっ、来れないか。いいよこっちでやっとくから。」と言っていただきました。本当に行かなければいけないかな、と思うほど一生懸命取り組んでいた自分がありました。重要な会合であることは分かっていたので、先生の一言に救われました。

 池田教授には、学問を極めるための厳しさを教えていただきました。

 また、池田教授には、入学前からいろいろ相談に乗っていただきました。受験勉強をするために学部の授業を受けていましたが、その一つが池田先生の授業です。池田先生の専門は『老子』です。授業は、『老子』、『荘子』、『墨子』など多岐にわたっていました。四書五経以外の書物を沢山教えていただきました。

 厳しい先生ですが、大学院4年目の終わり頃、なかなか修了できない私に、ひょっこりメールを下さいました。授業や所用に関連したこと以外の内容だったのでビックリしましたが、とても勇気づけられるメールでした。

 池田先生は、今年70歳のため退官します。修士論文を提出した日に、荷造りをしていた先生とお話をさせていただきました。

 初めてお会いしてから、8回目の春を迎えようとしています。池田先生より学んだ知識は、私の大きな財産です。(つづく)

平成24年3月2日(金) 
 清野充典 記

(平成23年1月1日より毎日更新中)

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Posted by 清野充典  at 18:52Comments(0)大東文化大学大学院