2012年02月27日
東京マラソン2012 楽しく走れました
平成24年2月26日(日)に、東京マラソン2012のフルマラソンの部に出場しました。
抽選倍率が高い中、出場できるだけで幸運だという気持ちでスタート地点に立ちました。
写真のメダルやバスタオルは、完走した者がもらえる品です。
息子が、10kmの部で完走したので、いただくことが出来ました。
我が家は、2009年と2010年に、私と長女が10kmの部で完走した時にいただいたメダルがありますので、全部で3個になりました。
私は、初めてフルマラソンに挑戦しました。
フルマラソンと言うより、10km以上走るのが初めてです。
10km地点まではイメージがありましたので、3年前とほぼ同じタイムで走ることが出来ました。
ただ、今回は、1月29日に駅伝出場して以来、修士論文口述試験対策のために殆ど走ることが出来ず、かつ最近2週間は修士論文の修正や義母の葬儀を行うために徹夜や睡眠2~3時間の日が多く、極めて睡眠時間が少なかったことから、体力が追いつかず、スタート2km地点から、肉体との戦いでした。
2km地点で右膝が痛くなりました。
道路の傾きが原因の一つだと考え、反対車線に移動したところ、右膝の痛みが軽くなりました。
そのあと、1km7分ペースで走ることが出来たのですが、8㎞地点で、今度は左太ももの後ろが痛くなりました。右膝をかばって走っていたために出た痛みです。
10kmの関門を無事超えところで、初めてトイレに入りました。日比谷公園横のトイレがすいていることは2年前に確認していましたので、予定通りの行動でした。
しかし、ここからが未知の距離です。
両足の痛みが強まり、急に失速しました。
1kmが遠く感じる様になり、1km8分から9分台に落ちてしまいました。
また、スタートから2時間以上経過し、空腹を感じ始めました。ここで何か口に出来たら力が出たような気がします。
走りながら何かを食べているランナーがいました。ああ、こんな準備も必要なんだなと思いました。
15.4kmの関門の少し手前で、「あと2分半だよ」と係員から声を掛けられました。トイレへ行ってロスした時間が頭に入っていませんでした。
ここで通過できなかったら大変と思い、あわてて必死に走りました。1分半ほどを残しての通過でした。通過する際、思わず立ち止まって、写真を撮りました。
この関門は、品川駅前近くです。稀勢の里の大関昇進披露宴でグランドプリンスホテル新高輪に来た際、ここまで走ってくるんだなあと思い、歩道橋に上がり、景色を頭の中にインプットしていたので、すぐ解りました。
でも、逆に、良くここまでこれたと思い、少し安心感がありました。そのことで弱気になったのかもしれません。
この時点で、20kmの関門を超えるのは無理だなと思い、少し歩いてしまいました。ちょっと心が折れかり、もうここで休むと楽になるなあと思ったとき、沿道の方からにっこりと笑顔で声を掛けられ、チョコレートとクッキーをいただきました。
とてもおいしかったです。チョコを食べたら身体に力が入るようになり、戦う気持ちがよみがえりました。
両手に沢山チョコとクッキーを握りしめ、一個づつ味わって食べながら、再び走り始めました。
痛い足を引きずりながら、20kmの関門を目指しました。この間、沿道の声援がものすごく、とても力になりました。
実は、当初の目標は22km地点で配給されるバナナを食べることでした。
ここまで行けたら完走できるかもしれない、と密かに思っていました。
友達もその地点で待っていてくれています。残り3kmは沿道の声援を背に、必死に走りました。18km手前より伴奏してくれた長女にタイムを聞きながら、関門を目指しました。
沿道で小さなお子さんが何人も「アメがあります」といって手を差し伸べてくれます。でも、沿道に進路を移して受け取る余裕がありません。「ごめんね、ありがとう。そこまで行く体力がないんだ。ごめんね。」と何度も言いながら、必死に足を前に進めました。
ようやく「20」の表示が見えました。その時点で残り2分でした。全力を振り絞って20km地点に近づいたそのとき、係員がタイムのラップ計測をするコンピューターのラインを、目の前ではがし出しました。
東京マラソン2012が終わった瞬間でした。
写真が、20km地点から400メートル先の関門までとぼとぼ歩いて到達したときに映した写真です。関門まで、4~5分遅かったようです。
厳しい生活条件の中、大会参加に向け、自分なりに精一杯調整をして出場しました。
東京マラソン2012は、3時間30分足らずの戦いでしたが、ベストを尽くしました。
また、沿道の声援は、ユーモアな声援も多く、都民の皆様と一体になって走っている気持ちになれました。
とても楽しかったです。
次回出場する機会があったら、必ず完走したいと思います。
平成24年2月27日(月)
清野充典 記
抽選倍率が高い中、出場できるだけで幸運だという気持ちでスタート地点に立ちました。
写真のメダルやバスタオルは、完走した者がもらえる品です。
息子が、10kmの部で完走したので、いただくことが出来ました。
我が家は、2009年と2010年に、私と長女が10kmの部で完走した時にいただいたメダルがありますので、全部で3個になりました。
私は、初めてフルマラソンに挑戦しました。
フルマラソンと言うより、10km以上走るのが初めてです。
10km地点まではイメージがありましたので、3年前とほぼ同じタイムで走ることが出来ました。
ただ、今回は、1月29日に駅伝出場して以来、修士論文口述試験対策のために殆ど走ることが出来ず、かつ最近2週間は修士論文の修正や義母の葬儀を行うために徹夜や睡眠2~3時間の日が多く、極めて睡眠時間が少なかったことから、体力が追いつかず、スタート2km地点から、肉体との戦いでした。
2km地点で右膝が痛くなりました。
道路の傾きが原因の一つだと考え、反対車線に移動したところ、右膝の痛みが軽くなりました。
そのあと、1km7分ペースで走ることが出来たのですが、8㎞地点で、今度は左太ももの後ろが痛くなりました。右膝をかばって走っていたために出た痛みです。
10kmの関門を無事超えところで、初めてトイレに入りました。日比谷公園横のトイレがすいていることは2年前に確認していましたので、予定通りの行動でした。
しかし、ここからが未知の距離です。
両足の痛みが強まり、急に失速しました。
1kmが遠く感じる様になり、1km8分から9分台に落ちてしまいました。
また、スタートから2時間以上経過し、空腹を感じ始めました。ここで何か口に出来たら力が出たような気がします。
走りながら何かを食べているランナーがいました。ああ、こんな準備も必要なんだなと思いました。
15.4kmの関門の少し手前で、「あと2分半だよ」と係員から声を掛けられました。トイレへ行ってロスした時間が頭に入っていませんでした。
ここで通過できなかったら大変と思い、あわてて必死に走りました。1分半ほどを残しての通過でした。通過する際、思わず立ち止まって、写真を撮りました。
この関門は、品川駅前近くです。稀勢の里の大関昇進披露宴でグランドプリンスホテル新高輪に来た際、ここまで走ってくるんだなあと思い、歩道橋に上がり、景色を頭の中にインプットしていたので、すぐ解りました。
でも、逆に、良くここまでこれたと思い、少し安心感がありました。そのことで弱気になったのかもしれません。
この時点で、20kmの関門を超えるのは無理だなと思い、少し歩いてしまいました。ちょっと心が折れかり、もうここで休むと楽になるなあと思ったとき、沿道の方からにっこりと笑顔で声を掛けられ、チョコレートとクッキーをいただきました。
とてもおいしかったです。チョコを食べたら身体に力が入るようになり、戦う気持ちがよみがえりました。
両手に沢山チョコとクッキーを握りしめ、一個づつ味わって食べながら、再び走り始めました。
痛い足を引きずりながら、20kmの関門を目指しました。この間、沿道の声援がものすごく、とても力になりました。
実は、当初の目標は22km地点で配給されるバナナを食べることでした。
ここまで行けたら完走できるかもしれない、と密かに思っていました。
友達もその地点で待っていてくれています。残り3kmは沿道の声援を背に、必死に走りました。18km手前より伴奏してくれた長女にタイムを聞きながら、関門を目指しました。
沿道で小さなお子さんが何人も「アメがあります」といって手を差し伸べてくれます。でも、沿道に進路を移して受け取る余裕がありません。「ごめんね、ありがとう。そこまで行く体力がないんだ。ごめんね。」と何度も言いながら、必死に足を前に進めました。
ようやく「20」の表示が見えました。その時点で残り2分でした。全力を振り絞って20km地点に近づいたそのとき、係員がタイムのラップ計測をするコンピューターのラインを、目の前ではがし出しました。
東京マラソン2012が終わった瞬間でした。
写真が、20km地点から400メートル先の関門までとぼとぼ歩いて到達したときに映した写真です。関門まで、4~5分遅かったようです。
厳しい生活条件の中、大会参加に向け、自分なりに精一杯調整をして出場しました。
東京マラソン2012は、3時間30分足らずの戦いでしたが、ベストを尽くしました。
また、沿道の声援は、ユーモアな声援も多く、都民の皆様と一体になって走っている気持ちになれました。
とても楽しかったです。
次回出場する機会があったら、必ず完走したいと思います。
平成24年2月27日(月)
清野充典 記