たまりば

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2012年02月18日

大東文化大学大学院生活を振り返って9 大学院入学

 6年前の2006年4月、大東文化大学大学院文学研究科博士課程前期課程に入学しました。専攻は中国学です。

 入学式に出席したときは46歳でした。

 同級生は5人おり、全員文学部卒業の人でした。そのうちの1人が40歳代の社会人、1人は20歳後半で1度社会人を経験し文学研究科の研究生を1年経ていました。別の1人は中国語学科卒で、残りの2人が中国学科卒です。さすがに大学院だと思いました。学生の経歴が、バラエティーに富んでいます。

 先輩も、長年在籍している人ばかりでした。

 日本では、文学博士取得が、博士の中で最も学位取得が難しいとされています。文学博士も100人足らずと聞いています。昔は、大学で教員をしながら研究を続け、退官間際になり、ようやく論文を提出して文学博士を取得する人が殆どだったそうです。いわば、博士は一生を掛けて研究した証です。

 30年以上研究をしてようやくなれるのが博士です。私が子どもの頃は「末は博士か大臣か」と言ったものです。

 理系の大学院では、概ね大学院を修了した時点で学位を取得しています。そんな感覚で入学したので、入学初日に「院生会」において大学院生たちと懇談をしながら酒を酌み交わしたときは、大きな違和感を覚えました。

 「自分は、2年で論文を書いて、大学院を終了するぞ」と心の中で思ったものでした。

 しかし、現実はそう甘くはありません。いざ、大学院生活を初めて見たら、知らないことだらけでした。

 1年目は、卒業する単位を満たすために、週3回大学院へ通学しました。勉強しても勉強しても、予習が追いつきません。授業に参加しても、ちっとも解りません。

 1年目の秋頃には、少しずつ咳が出始め、だんだん精神状態をコントロールすることが難しくなりました。

 2006年11月末頃、あるとき、自分がおかしくなっていることに気付きました。当院のスタッフに聞いても、「そうかもしれない」と言います。生まれてはじめて「うつ」状態に陥りました。

 折しもその頃は、清野鍼灸整骨院20周年記念イベントを開催しようと思い準備を進めていたときでした。

 2007年2月2日(木)に、調布クレストンホテルで記念講演会・記念祝賀会を行ったときは、両耳が殆ど聞こえなくなり、相手の動きや口のかたちを見て反応し、唯笑っているしかできない状態でした。

 体力の限界を超えるほど、大学院の勉強は大変でした。その後の5年間もズーと大変でしたが、一番体調を崩していたのがこの頃でした。

 聴力は、養生が出来ずかつ大学院生活を支えてくれているスタッフには治療を頼みづらかったこともあり、1か月近く聞こえづらい状態が続きました。

 ちょうどその頃、大好きなミュージカルがありました。気分転換にミュージカルを見たところ、初めは演奏する音がウォンウォンしていましたが、ステージに感動して涙した後で、耳の聞こえ具合が治っていることに気付きました。

 精神的ストレスが、音楽や観劇で解消されることが、身を以て体験できました。

 2007年の3月になり、少しずつ咳が収まりました。

 大学院2年生(47歳)、3年生(48歳)、4年生(49歳)と学年が進むにつれ、勉強難しくなると咳は出ますが、1年生の時に出たような症状は出ませんでした。

 学問が深まるほど大変さは以前以上に増してきますが、精神が強くなったことと研究中に呼吸をおだやかにすることが出来るようになったことが大きな要因だと思います。

 次回からは、大東文化大学大学院文学研究科中国学専攻博士課程前期課程で何を学んだのか綴りたいと思います。(つづく)

平成24年2月18日(土) 
 清野充典 記

(平成23年1月1日より毎日更新中)

※3日に一度「清野鍼灸整骨院府中センターです」を更新しています
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※東洋医学の適応範囲をお知りになりたい方は、是非ご一読いただきたく存じます

  


Posted by 清野充典  at 14:13Comments(0)大東文化大学大学院