たまりば

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2012年02月10日

大東文化大学大学院生活を振り返って3 入学の準備

 6年前の2006年4月、大東文化大学大学院文学研究科博士課程前期課程に入学しました。専攻は中国学です。

 その2年前である2004年に、茨城大学の教授である真柳誠教授のお導きにより、現在指導教官である大東文化大学大学院の林克教授と面談しました。大東文化大学にお伺いし、初めてお会いした際、私の書いた論文をお見せし、いろいろ話をした後、「今は大学院で研究する実力がないし、入学試験に合格することも出来ない。」と申し渡されました。

 その上で、入学試験に合格するために勉強しなければ行けない書物の指導を受け、その本を読み始めました。その内容はとてつもなくハードで「えっ」と絶句するものばかりでした。また、1年間、大東文化大学文化大学文学部の授業を聴講生として受講するように申し渡されました。約2年あまり、苦しい苦しい毎日が始まりました。

 紹介してもらった本は、1ページ読むために約1時間を要しました。何度も何度も辞書で文字を調べないと読み進むことが出来ません。その本は600ページ以上ありました。しかもその本を3か月で読むように言われたのです。とてつもない高い壁でした。結局その本を読了するまでに10か月かかりました。

 また、大東文化大学の1~2年が通学する校舎は、埼玉県髙坂市にあり、調布から片道2時間半ほどかかります。

 茨城大学は、車で片道1時間半から2時間でしたので(時折渋滞で3~4時間かかることもありましたが)、それ以上の通学時間が必要でした。勉強を続けるのも体力勝負です。空手道場へ行き体力低下を防ぎ、お酒を殆ど飲まない生活に変わりました。

 大学院に入学するためには、基本的に「学士」の学位が必要です。私の出た学校は明治鍼灸短期大学です。当時、世界で初めて出来た鍼灸医学専門の最高学府でしたが、日本国内では鍼灸医学は学問とは認知されず、また医師会と文部省とで激しい対立があったため、4年制に成りませんでした。そのため、当時「学士」の学位は取得していませんでした。

 1993年(平成4年)より「鍼灸学士」制度が出来ていましたが、大学生にならなければ取得できないため、学位取得は社会人にとって困難な状態にありました。

 茨城大学へ通学し始めた2003年の年より、「医史学」が「鍼灸学士」の学問対象になり、短大時代に取得した単位に32単位積み上げることにより大学評価・学位授与機構の試験を受け、鍼灸学士を取得出来ることを知りました。大東文化大学大学院に入学するための受験資格を得るために、2004年度内に「学士」の取得を目指し、32単位を満たすために2004年より人間総合科学大学にも通学し始めました。

 大学院を受験するための準備に、走り始めました。

 この年は、茨城大学と人間総合科学大学へ通学し、かつ大東文化大学の林教授より出された課題の勉強をする過酷な環境の中で仕事をしていました。人間総合科学大学で、初めて1日中(朝9時から夕方6時頃まで)授業を受けたときは、頭がすっかり泳いでふらふらし、終わったときは宇宙遊泳をしているようでした。長時間深く思考することをしていなかった自分に気付いたことをよく覚えています。今は15~6時間続けて論文を作成していても大丈夫なので、随分実力がついたんだなあと振り返ってみると思います。

 2005年3月までに、32単位を取得し、鍼灸学士を受験をするための論文を書き上げ、大学評価・学位授与機構に提出しました。

 本当に大変でした。

 でも、学位を取得したわけではありません。本番はこれからでした。(つづく) 

平成24年2月10日(金) 
 清野充典 記

(平成23年1月1日より毎日更新中)

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Posted by 清野充典  at 11:57Comments(0)大東文化大学大学院